音楽祭でのボランティア経験や、他地域との比較研究の中で作っていったインタビュー項目を、音楽祭の実行委員長の平井兵庫さんにインタビューしました。

こちらから商店街に行く予定でしたが、コロナの感染拡大により学外活動が難しくなったため、平井さんに本学までお越しいただきました。お忙しいところ、本当にありがとうございました。

はじめに

行木:今日はサービスラーニングのインタビュー回ということで、宇治川音楽祭の……

平井:すみません、宇治「かわ」です(笑)。これ大事なんで(笑)

行木:すみません(笑)。宇治川 (うじかわ)音楽祭の実行委員会の実行委員長をされている平井兵庫さんに今日はいらしていただきました。

平井:よろしくおねがいします

行木:まず平井さんの簡単な自己紹介を。

平井:平井兵庫(ひょうご)というふざけた名前です(笑)。
宇治川音楽祭というイベントが今年で7回目になりました。この実行委員長、僕は最初からやった訳じゃなくて、途中からやらしてもらって5年目になります。
生まれも育ちも宇治川商店街エリアで、50年近くになります。僕が見てきたことでよかったら今日お話できます。
古い歴史のある街なので、その辺もし興味をお持ちだったら後々調べていただいたら……。Wikiにも出ています(注:Wikipedia「宇治郷」)。
本業は肉屋をやってます。

音楽祭の歴史

行木:では、さっそくみんなから質問を募る形でインタビューを始めていきたいと思います。テーマごとに聞いていこうと思うんですが、まず宇治川音楽祭の歴史について質問がある人。

T.N. 宇治川音楽祭はどういうきっかけで始まったんですか?

平井:第一回は2015年ですね。バーがあるんです。そこのマスター自身も音楽家、バンドマンで、いろんなミュージシャンと顔が広い方です。そのバーに、みんなで集って話をしてる中で、宇治川商店街を全部通行止めにして、屋台が出て、ちょっとしたステージがあって、というのをみんなでできたらいいなって言って始まったのが宇治川音楽祭の第1回だそうです。
僕はそれには間接的にしか参加しなかったので、あんまり内部的な事は分からないですけども、その時の実行委員の人が、翌年の第2回もやった。そのあと実行委員会をバラして再構成して、その時に僕に声がかかったという経緯です。ネーミングについては僕はぜんぜん関知してないです。

T.S. なぜ音楽祭だったのですか? 他に何かイベントの候補はありましたか?

平井:いま言ったように音楽好きが集まるバーで始まった話だから、最初から音楽祭であって、他の候補はありませんでした。また新開地で毎年5月に「新開地音楽祭」をやっていることも関係しています。そちらの方が宇治川より二回り位大きいんですけど。宇治川でも音楽祭をやるって聞いた時は、最初はパクリみたいに思えて実は嫌でした(笑)。実際、出演するミュージシャンもかぶってるんです。新開地に出る人が宇治川エリアでスタジオ借りて練習したりしてて。だから最初の初期の頃は「B級版の新開地音楽祭」という気楽なノリで始まったような気がします。
昼は宇治川商店街でやって、その夜の流れで二次会的に新開地のバーとかライブハウスで第二部をやってた、リンクしていたというようなことも聞いています。だから一応密接な繋がりがあるみたいですね。
でも……パクリです(笑)。

Y.O. 音楽祭の前にも、何か別のイベントをしていましたか?

平井:「スコッティ・フェスティバル」というのをやりました(笑)。
たぶんみんな知らないと思いますが、「スコッティさん」って言う60代のおじさんで、女装というか、すごいカッコして大丸の辺とか歩く人がいたんですよ。僕がその人にあったのが10年くらい前かな。とある帽子屋さんで出会って……。その店は今はもうないんですが、まあ変な人が集まるところで(笑)。そこにスコッティさんがいて。で、この人スターにしようということで、やったんです。2014年に、みなとの森公園で。僕も自分のバンドがあってね。でっかいステージに立って。本当にやったんですよ。イベントを作るのが、好きだから……。
その流れで、さっき言った第1回の宇治川音楽祭の実行委員の人は、僕がイベントやったことは知ってたんですよ。どんな風にしたらいいか、相談というか、話を聞いていて。音楽祭に本格的にかかわったのは後からだけど、でもそういうわけで、いきなりかかわったというわけでもないんですよ。

K.I. これまでの音楽祭の歴史の中で一番大変だったことは何ですか?

平井:一番大変だったのは今年! これ間違いないです(笑)。
お金うんぬんじゃなくてやれるかやれないか、一回まとまりかけたものがやっぱりチャチャが入ったということで(注:開催1月前になって、観客を入れての開催ができなくなった)、挫折感を初めて味わったのが今年ですね。

音楽祭の運営組織

行木:歴史はこのくらいにして、次はこの音楽祭を実施している組織に関して、何か質問ある人。

T.M. 運営組織って何人くらいの方で構成されているんでしょうか? またその組織の人達はみんな商店街の方なんですか?

平井:主催は、宇治川商店街の連合会です。宇治川商店街は、実は6つの団体に分かれていて、その連合会です。
この連合会を主催として、神戸市や兵庫県に補助金を頂いてやっている、成り立っているというのが、まずベースにあります。そして僕のいる実行委員会はその下部組織として、実行部隊として動いているという感じです。
実行委員会は、今年は6人の少人数制でやってます。商店街の人が4人。外部というか近所に住んでる人が1人。この人は第1回から関わっている人です。あと1人は福祉をやってるボランティア系の人。この6人です。

行木:学生にボランティアの仕事を説明してくださった吉津さんは……

平井:彼は実行委員会ではないんです。ボランティアリーダーとしてお手伝いしてくれています。さっき言ったバーの常連で、第1回からずっと関わってくれています。

Sh.Y. 商店街の中で、音楽祭に積極的な人が多い年齢層はどの辺ですか?

平井:宇治川商店街には、50店舗ぐらいリアル稼働している店舗があるんですけど、前向きなお店、つまりポスターを貼ってくれたり、協力金をくれたり、ボランティアとして参加してくれたりするお店が、そうですね6割ぐらいかな。
年齢層は、めちゃくちゃ若い人っていうのはいなくて、40代から60代って感じですね。

H.T. 商店街に組合はありますか? あるなら、音楽祭の実行委員会との関係はどうなっていますか?

平井:これはさっき彼に言った通りで、組合というか、連合会があります。6つの団体があって、その緩やかな連合体。正式な名前は「市場商店街連合会」。
連合会は、イベントはあまりやっていなくて……再来週かな、12月に何かあるけど(注:くじびきがある)、まあそれぐらいです。阪神淡路大震災後は、ずっとやっていない状況ですね。
で、音楽祭の実行委員会との関係ですが、いいようにやってくださいよという感じです(笑)。いいようにやらせてもらっています(笑)。そんな感じです。

K.T. ポスターにかなりクセが強い絵やデザインが使われていますが、あれはどなたが作っているのですか?

平井:実行委員会6人のうちの1人、デザイン部長の田尾君という人がいて、彼が作っています。宇治川商店街でバーをやっている人です。隠れバーなので、ぜひ見つけてください(笑)。
あれは強烈な絵ですよね。好き嫌い分かれます。彼は美術系の人なんで、いろいろ知り合いもいてね。何年か前に友達を引っ張ってきて、三人で三種のポスターを作ったということもありました。
ともあれ全てわれわれ自前でやってます。

So.Y. アーティストへの出演依頼や、ポスターやグッズのデザイン、ウェブ上での宣伝、当日の運営など、どれも本当にクオリティが高い仕事になっていると思うのですが、宇治川音楽祭は、他の地域のように外部のイベント会社などを入れず、自分たちですべてやっているということでしょうか? もしそうだとしたら、自分たちで全部やっている理由は何かあるのでしょうか?

平井:確かに音楽祭は自分たちだけでやっていますね。音楽祭以外はそうでもないですが。

行木:音楽祭以外?

平井:神戸市や兵庫県から補助金をいただく時に、音楽祭ひとつだけ、1発だけでは通らないんです。「いくつかのイベントをリンクさせなさい」というガイドラインがあるんですけど、それにのっとって、ポスター展とか書き初め展とか、お店紹介の街歩きとか、そういうのを絡めています。絡めながら実施するに当たって、コンサルタントの人が一応一人入っています。その人とはここ3年ぐらい一緒にやっていて、ポスター展とか街歩きとかは、彼の知恵を借りながらやっています。
ただし音楽祭に関しては、ほとんど実行委員会だけで決めてます。デザインの人も自前ですし、運営ももう年々やってると、だんだんと要領が分かってくる。5年目なんでね。
自分たちだけでやっているのは、慣れてしまったのでわざわざ外の人を入れる必要がないというだけで、それ以上の深い理由はないです。

行木:僕らの方でも、全国各地の地域活性化の事例を本を読んで勉強したんですけれど、他だとやっぱりコンサルタント会社とかイベント会社とかを入れてるところがすごく多いんですよ。それを考えると、地元民だけであれだけの規模の音楽祭をやってしまっている宇治川は珍しい。

平井:珍しいですか(笑)。まあ、自分たちでやっているから楽しいですよ。
ただ、補助金をもらうのは手続きや条件がすごく複雑なので、そういうことのためにコンサルを入れているところが多いのかな、とも感じます。本当にいろいろ難しいんですよ(笑)。

音楽祭の出演者

行木:では次に、音楽祭の出演者に関する質問がある人。

Y.S. 宇治川音楽隊の出演者は毎年だいたい何人くらいですか?

平井:最初の2015年が16組でした。ひとつのステージで朝から1日かけて演奏できる数が、だいたい15組ぐらいです。2016年はステージが2つに増えたので30組。2017年はトラックステージ(注:荷台を開くとステージになっている特殊車両)を入れた年で、それ1台だけで15組ぐらいでした。2018年はステージが二つで33組ぐらいです。
人数でいうと、1組3人として平均100人くらいだと思います。

M.Y. 音楽祭の出演者はどうやって決めていますか? またどうやって連絡をつけ呼んでいるのですか?

平井:一年目、2017年の時は「もうどうしていいかわからへんで」言うて、バーのマスターの紹介がほぼほぼ、みたいな形でしたね。その次の年から公募という形で、SNS……その時はフェイスブックだけやったかな? それで集めはじめました。
だんだんと知名度が高まるにつれ、応募は増えてきました。ただ、去年、今年はコロナになったために伸び悩んでいますけども。
決め方ですが、最初の年はマスターの推薦があり「私出たいです」という人が来てましたが、その後はぼくがほとんど一人で考えて決めてました。地域のイベントは地元の人が出るのも大事だけど、知り合いだから出すみたいな、なあなあ感があるのもダメなんですよ。これ一番大事なとこなんですけど、僕はもうそこはバチバチとね、選んでいきました。実は僕のバンドも、最初のころは数が足らないから出てたけど、むしろ逆にアウェイ感あったもんね。
とにかくオッサンとオバハンのイベントみたいなイメージはぶっ潰したいなと思ってて。ヒップホップの人とか、若いカルチャーの人も出てもらって、イメージはちょっとずつ払拭できてきてるかなと思うんですが。

Y.H. 宇治川音楽祭で、これまでに呼んだ人の中で有名な人っていますか

平井:たぶん「王様」じゃないですか、行木先生が大好きな。皆さんは、絶対知らないと思うんですけどね(笑)。
あと、ノックアウトモンキーという今年ボーカルの人だけ出てたバンド。あれは30代ぐらいなのかな?ちょっとヘヴィロック、ミクスチャーロックみたいな人とか。
あとチャーリー・コーセー。ルパン三世の終わりの歌――知らないやろな、それを歌ってたおじさんが2017年に出てます。

行木:見に行きました、チャーリー・コーセー。あの曲は奥田民生もカバーしてますね。

平井:チャーリー・コーセーは、なんというか「本物」でしたね。

R.H. 出演者への出演費はありますか? もしあるならどれぐらいですか?

平井:一番高かったのが、去年の松ちゃんのお兄さん。■■万です。王様が■■万ですね。
大体そんなもんです。マックスで■■万ぐらいじゃないと、他とのバランスが取れないんですよ。

行木:金額については、後でまとめたときに伏字にしておきましょう(笑)。

平井:だいたいそれで3万、5万、10万って感じかな。ランクに応じてというか。有名な曲があると強いですよ、そこはね。

Y.O. 出演者のジャンルはとか考えていますか? いろんなジャンルの人いると思いますがどのジャンルがどれぐらいとか考えていますか?

平井:これは(各ジャンルから1組ずつ選ぶような)最大公約数になっちゃダメだと思ってます。やはりイベントはね、ターゲットをしぼっとかなきゃダメですよ。うちらはちょっと濃い感じ、尖った感じにしたいのは常々ある。
だけど、おじいちゃんおばあちゃん向けのジャンル、たとえば演歌の人でも、聞いていいなと思えば入れる。逆にめちゃくちゃうるさいやつも、(良し悪しにかかわらず、尖った感じにしたいからといって)そればかり入れるということもしない。
そうそう、今回はちょっと都合が合わなくて呼べなかったんですが、めちゃくちゃかっこいいレゲエのバンドがいてね、これは次回ぜひ呼びたいと思っています。

行木:各ジャンルから1組ずつ選ぶのではなく、かといってジャンルを決めてそれだけ選ぶのでもなく、ジャンル関係なく、あくまで良いバンドだから出てもらうと。結果として、尖った感じになればよいと。

平井:そうそう。宇治川音楽祭はこういうジャンルっていうのをなくしたいですね。そっちの方が楽しみがある。新開地(音楽祭)はこう、こちら(宇治川音楽祭)はこう、みたいなイメージが、最近強くなっちゃってる気が個人的にしていて、その分ちょっと面白味がなくなった気がします。

行木:音楽以外にもお笑い芸人とかアクションショーとかありましたが、あれも意識して入れたんですか?

平井:はい。

R.H. コロナ禍になる前は屋台がたくさん出ていたそうですが、それはどうやって集めたのですか?

平井:祭りに出る専門の屋台、いわゆるテキ屋さんを呼ぶのではなく、この近所の美味しい店に「やりませんか?」と声かけて、屋台を出してもらいました。2年前、3年前かな。

行木:あの屋台は、実際に近所にある飲食店が出しているものだったんですね。

平井:ほとんどそうですね。慣れてる人、慣れていない人はいましたが。
僕がやる前、第1回、第2回は、テキ屋さんも呼んでいたそうです。

音楽祭の観客

行木:では次に、音楽祭のお客さんのことで質問がある人。

H.T. コロナでなかった年はどれくらいの数のお客さんが来ていましたか? また、時間帯で分けるとどんな割合でしたか?

平井:第1回、第2回は、商店街の道路を封鎖しないで、車が通る中で歩道だけを使ってやってたんで、その時のデータはちょっと取れてないんですけど、3回目の時は延べで1500人ぐらいでした。その次は3500人ぐらい。次が2019年で、これが一番多くて5500人ぐらいかな。この伸び具合なら「そのうち1万人もある」と言ってたんですがコロナでね(笑)。去年、2020年は3600人に減りました。

行木:それでもコロナ禍での開催だったんですよね?

平井:去年は飲食オッケーにしてたんですよ。その代わり、お客さん全員に取り外せないリストバンド配って、かなり厳密に出入りを管理しました。客数は抑えまくりましたが、それでもそこそこ来てくれて……。3600人というのは大体予定通りの数に落ち着いた感じです。
時間帯は出る演者、それを見に来る人によりますが、14時以降ぐらいですかね。屋台でご飯食べがてら、14時以降~17時ぐらいがピークかなって感じ。
年齢層は出る演者によりますね。2年前かな? トムボーイズいう神戸の若いお姉ちゃんのバンドが出た時は、オタクの人が集まってきましたね。外人さんもきていましたね。
本当に出る人によりますね。ほっといたらおっちゃんばっかになっちゃうので、それをなんとかしたいと考えています(笑)。

Sh.Y. お客さんは地元の人ですか? 遠くからも来ますか? 駐車場などは用意していますか?

平井:それはちょっと統計取れてないんですけど、近所の人がほぼほぼじゃないですか。
今年はYouTubeでの配信でしたが、これは来年以降も取り入れてハイブリッドという形にすれば、遠方の方でも見られるので、ちょっと考えてみようかなと思ってますね。それにあれは視聴数も出るしね。
駐車場は用意はしてないです。もし車で来てもコインパーキングを使ってもらってます。

Y.H. 宇治川音楽祭は雨天でも開催するんですか?

平井:少雨決行です。台風とかが来た場合は、その週の水曜くらいの時点で決めて中止にしますけど、今のところずっと晴れてるんだよね。なぜか10月10日、体育の日は統計上晴れると言われてます。なのでその日を選んでますね。

So.Y. 答えづらい質問かもしれないんですが、騒音で苦情など来たことはありますか?

平井:騒音で苦情が来たこと、ありますね(笑)。苦情はまず警察に行って、警察の方が会場に来て「あのー、こんなん(苦情)言うてこられたんですよねー」って。それ一回だけかな。

行木:いつ頃のことですか?

平井:去年です。去年は山ステージ、あの北側の信号の方でわりかしでかい音を出したんで、多分、その後ろの市営住宅の方かな? もろに音を浴びる位置にあるんで。

T.M. 宇治音楽祭を宣伝するためにどんな手段を使っていますか? また効果的だと思った方法は何ですか?

平井:コロナ前でしたら、基本はSNS。Facebook、twitter、インスタがほとんど。あとは新聞に載せてもらうとか、チラシを配る、ポスター貼ってもらうといった地道な作業ぐらいですかね。ラジオもありますが、インターネットラジオで誰が聞くか分からないですからね。告知方法は一番の課題ですね。じわじわ知名度を伸ばしていくしかないかな。
一番効果的だったのは、それは「バズる」しかないですね。それしかないです。それこそ先生が好きな「王様」とかね。彼はもう全国的にファンを持ってるんでね、どっかで引っかかったら音楽祭が一気に広がるかもしれない。そうなってくれたら一番手っ取り早いと思いますが、そこまでは地道に知名度をひたすら上げるしかないですね。


音楽祭の予算

行木:では次に、予算のことについて何か質問がある人。

T.S. 音楽祭を1回するのに使う費用ってどのくらいですか? そのお金はどこから準備されてるんですか?

平井:200万円くらいです。半分は補助金。ほぼ半分。あとは商店街の連合会が主催という形でやっているので、会費を賛助会費いうて特別な会費としていただいてます。近所のためにね。それで足らない分は、実行員会の持ち出しです。実行委員会がお金出します。それで好きなことできるものとします。その程度の金額赤字で済んでます。

T.N. 行政からの補助金はあるのですか? またあるんだったらどのくらいの金額ですか? また、支援を受ける代わりに、何か開催の条件をつけられますか?

平井:さっき言ったけど、だいたい200万のイベント費用の、半分の100万が兵庫県と神戸市から出るというのが基本ですね。
条件ですが、今までは注文をつけられたことなかったのに、今年に関してはだいぶ圧がかかって来てね。いろんな人を呼ぶようなイベントをするなら、コロナの今は飲食するなとかと言うので、もう無観客にしました。これは完全に圧をかけられたというか、つまりえらい人が来たんですよ、ミーティングにね。なんかあったらあかんっていう考えですよね。

行木:無観客開催を決める上で一番大きかったのは、やはりその神戸市からの圧だったわけですか?

平井:そうですね。あと商店街内部でも、6つの団体のひとつが、やっぱりちょっと心配だということで反対したということもあります。

コロナ禍での開催

行木:今の話に続いていくんですけど、今年、コロナ禍での音楽祭開催にかんして、質問のある人はいますか?

K.I. コロナ流行の中での開催には反対意見も多かったと思うんですけど、反対意見は具体的にどんなものでしたか?

平井:8月の終わりでしたっけ? 愛知県でヒップホップ系のフェスがあって、コロナが大変な時期にえらい騒ぎになったことで、全国的に音楽フェスが被害を被りましたね。うちもその一連の流れで、9月の中旬ぐらいかな? 神戸市の人が来て、いろいろと厳しい条件を言ってきました。まだ感染者数もそこそこ多かったし。
あと、さっきも言った商店街の中の1つの団体が、やっぱりちょっと心配だと。音楽祭を毎年やってるのはすごいいいことだが、今年に関しては無理して開催する必要があるのかという意見を、文書でもらったという感じです。その2つですかね。

K.T. 音楽祭開催に反対する人を、どのように説得して納得してもらいましたか?

平井:無観客にしますよというプランをプレゼンして、それで納得してもらいました。
6つの団体ごとに総会などして、賛否を決めてもらいました。そして各団体の頭の人たちの決議書みたいなものにサインをもらうという形で決着しました。
でも文句を言う人はゼロにはならなかったですよね。そこは覚悟しています。

行木:一方で、開催したい、開催すべきだという人も多かった、だから無観客でも開催することになったと思うのですが、そういう開催すべきという人たちの理由は何でしょうか?

平井:何でしょうね? お祭り好きなんでしょうね(笑)。
それと、なぜか昔の人、年寄りほど賛成してくれる感じがありました。怖がってないのかな(笑)?
ただ、無観客にしなかったらわかんないけどね。観客を入れてやろうとしたら「何やってんねん!」みたいなこと言われた可能性もあります。(無観客開催という)一番無難な方法でやってしまったのが今年です。

行木:音楽祭を開けばこういうメリットがあるんだよ、みたいなことは主張しましたか?

平井:はい。商店街の知名度アップ。ひたすらそこ一点を強調しましたね。
昔からこの地域に住んでいる人は商店街のことをよく知ってても、最近引っ越してきた人、マンションいっぱい立ってますが、最近来た人は知らない人ばっかりじゃないですか。そこにアピールするという意味が音楽祭にはあります。

M.Y. 無観客でも開催しようと考えた、その理由は何でしたか?

平井:中止にするのは簡単なんですよね。何事も。でも継続性を第一に考えて、今回はオンラインで開催しようということにしました。
それにYouTuberでのオンライン開催をきっかけとして収益が上がる可能性がちょっとでもあるんなら、それに越したことはないという前向きな感じです。ネガティブには捉えてないんです。

Y.S. 1か月前にオンライン開催に変えたことで、大変だったことは何ですか?

平井:大変だったことは、変更があるたびに、出演者や関係者にその都度連絡することでした。大きな変更なので、ちゃんとひとりひとりに説明しないといけない。僕が全部連絡して、それが結構大変、というか時間をめっちゃ取られました。

R.H. オンライン開催にしたことに対して、出演者やお客さんから何か感想や意見はありましたか?

平井:これはもう「仕方ないね」と、ほぼそんな感じで。
本当は3つのステージ予定してたのを1つに、まあツメツメにしたんですけど、それでこぼれてしまった人がいっぱいいて、そういう人に対しては来年の出場権を確約したというか、来年出てくださいと。
1人だけかな? 怒った感じの人が1人か2人ぐらいいましたが、おおむね大丈夫です。問題はない。

音楽祭の成果

行木:では次に、この音楽祭の成果について何か質問がある人。

Y.O. 今回の音楽祭は、自分の評価で何点くらいの成功ですか?

平井:そうですね、1万人を集めて、屋台もワイワイするような状態を100点とするならだいぶ低い……。けど、YouTubeの方に活路を見出すこともできたという意味で、30点。それくらいは成果があったんじゃない?

行木:なかなか自分に厳しいですね(笑)。

T.M. 音楽祭は、商店街にどのようなかたちで貢献すると考えていますか?

平井:目標は知名度を上げながら、空き店舗のシャッターをもう一度開けていくこと。で、実際、ある服屋さんが去年かな、音楽祭がらみのイベントをきっかけに物件紹介させてもらって、入ってくれたんです。そういう成功がすでにひとつある。で、その人がまたいろんなお客を持っている人なんだよね。だから人は増えたかもねって感じ。そういうことを目指しています。

H.T. 音楽祭によって、商店街のお客さんが増えるなどの効果はありましたか?

平井:それは非常に難しいですね。その質問はね。でも究極ですよね。
音楽祭やって知名度が上がります。店が増えます。お客さんが増えます。これ、地味な繰り返しです。でもほっといたらマンションだらけになっちゃうんだよね。それとのせめぎ合いというか……。
この町、住みやすい、楽しい、しかも音楽があると。そうなったらまあ素敵なことじゃないですか。これは後で話しますけど、音楽祭だけじゃなくて、一年間を通じた「ミュージックタウン」的なプランを立てようと、今しているところなんです。その一環として音楽祭があると。

Y.S. こうしたイベントが1回だけのにぎわいに終わらず、商店街の活性化につながっていくには、特にどんなことが必要だと考えていますか?

平井:そうですね、一年に一回だけではいけないので、例えば春先はママさんコーラス隊のステージを作ってあげるとか、あと子供たちのダンスや歌でも良いし、また年寄り向けのイベントも春夏冬みたいな感じで散りばめていきたいですね。そうやっていろんなイベントをリンクさせていって、その中で秀でた方には音楽祭に出ていただくと。そんな感じで繋げていけたらなと思ってます。


商店街について

Sh.Y. 宇治川商店街では、他に何かイベントをしていますか?

平井:チラシぐらいですね。スピードくじ付きのチラシとか古臭いのをやってるのが、12月の第1週の木、金、土です。それが宇治川商店街連合会としてのイベントです。
昔は屋台出したり七夕祭りをしてましたが……体力なくなってるんですよね。それは財政的なこともあるし、企画する方がお年寄りなんですよね。会長が80歳ぐらいで、そのナンバー2、ナンバー3の方が70台で……。だから我々が何かしようかな、という風に思います。
音楽祭をもっと盛り上げていって、その先のプランとしてあるのが、一般社団法人の別組織を作ろうと思っています。僕が商店街の役員になるとかじゃなくて、別組織で外からサポートするという形でやろうかなというプランがあります。

Y.H. この商店街は若手の意見を取り入れてもらいやすいと思いますか? 年配の方がいろいろ変に関与してきてしまいそうですが、年配層とは良い関係が築けていますか?

平井:(商店街連合会の方たちが)ちゃちゃを言うことは全然ない。むしろ「どうぞやってください」という感じです。とんでもないプランを持って行って、それで却下されることはあるけど、向こうから何か言ってくることはないですね。

K.I. シャッターを閉めている店は何割くらいですか? 営業しているお店にその影響はありますか?

平井:50店舗で、シャッター(を閉めているの)は16ぐらい。全体で30パーぐらいです。
ただシャッターなのに借りれないというような状況も多々あります。共同所有の建物とかが多いんですよ。1軒に2店舗が入っていて、片方はもうやめちゃっても、片方がやめない限りはそこは空かない。売却もできない。シャッター(を閉めている)なのに借りれないという状況も多々あります。
あとは(シャッターを閉めた店舗の)上に人が住んでいて、下の店に(他人を)入れるのが好きじゃないというパターンが多いですね。「テナント募集」なんて書いてあっても、それはあまり関係ないんですよ(笑)。

行木:閉まってるお店があると、営業されているお店、肉のオカダさんとかには影響がありますか?

平井:いや、それは結局、個店個店にね、パワーがあれば、それで解決する問題だと思うんですよね、僕は。開いていない店があっても、それは問題ないと思います。

音楽祭の今後

行木:では音楽祭の今後について質問がある人。

T.S. 宇治川音楽祭の出演者数、日数、年間の開催回数などを、もっと拡大したいと考えていますか?

平井:小さい規模のイベント、たとえばママさんコーラスとか、お子さんのイベント、年寄り向けのイベントなんかは絶対やらないとダメだと思っています。そして、その中の一番のビッグイベントとして音楽祭があると、そういう感じで開催していきたいです。
それら(小規模なイベント)は、たぶん来年からおこなっていきます。

T.N. 音楽祭の他に新たに始めようとしているイベント等はありますか?

平井:いま言った小さなイベントですね。それらを音楽祭とリンクさせて「ミュージックタウン」計画としてやっていきたい。
音楽祭自体にも新しい企画を――これは実現するか分からないですけど、来年の音楽祭でアームレスリングやろうかって話が出てきたりしています。他にもいろいろおこなっていきたいですね。商店街には結構顔の広い人がいらっしゃるので。商店街の中にも面白い人いっぱいいるので。
今年は三宮にあるSMバーの人が、背中に背負うビールのサーバーを稼働させるという計画もあったんです。そういうサブカルチャーも取り入れながら、やって行きたいですね。お楽しみに(笑)。

So.Y. 音楽祭の拡大や新しいイベントを考える上で、障害になりそうなことは何ですか?

平井:やはりマンションがどんどん建っているので、そのようなマンションの住民の方といい関係を築いていかないといけませんね。外から移り住んでくる方が多いと思いますので、その人たちにこのような音楽祭の試みを理解していただけたらと思います。

行木:私が知っている花隈の人たちも、マンションが建って人は増えているけれど、しかしそれだけで町が活気づくわけではないとおっしゃってました。

平井:商店街というのは夜は閉まっている店も多いからね。

行木:このままマンションが建っていくと、この地域は単なる駅近の住宅街になってしまって、古くからの歴史がなくなってしまうというか……。

平井:そうですね、今はまだギリギリ残ってはいますけれど。かといって昔そのままにしておいても老朽化の問題があるので、中々難しい問題になっています。

M.Y. 音楽祭が目指す目標や、商店街が目指す目標は何ですか?

平井:マンションが次々建って、住宅街化しつつある。そういう新しい住民との関係をどう築くか。
ひとつは電子マネーが使えないかと。電子マネーやカードでの決済への対応に不安を抱えている商店街の方々も多いのですが、その一方で電子マネーを利用したらポイントが付いてくる等のキャンペーンをしてみようかと考えたりもしています。新しい住民の方は、電子マネーの方に慣れていると思うので。
ただ、今すぐ全ての店舗でその様なキャンペーンをおこなうことも難しいので、今のところ我々は音楽の力で商店街を盛り上げていこうと、それくらいしか思い浮かばないのが現状ですね。
いま彼が言った質問が、一番難しいことですね……。

どうしたらいいでしょうかね、みなさん(笑)。みなさん良い知恵をください(笑)。僕は音楽祭を盛り上げていくことだけで精一杯なんです(笑)。自分の店を頑張って、音楽祭と両立させるのも難しいですね。


平井さん個人への質問

行木:平井さん個人への質問がある人、お願いします。

Y.S. 平井さんが、宇治川商店街を活性化させるために必要だと思う「もの」や「こと」は何ですか?

平井:今は新型コロナの影響で、人の心がネガティブな方向になっています。それを音楽祭で気持ちを和らげていきたいですね。人の気持ちを前向きにさせるには、お祭りが欠かせないと思うんですよ。
ただ、コロナの影響もあって開催に反対意見を言う人もだんだん増えてきているのは実感しているので、リスクが少ない方法で、商店街を盛り上げていかなければと思いますね。みんなで楽しめる様なお祭りにしていきたいです。

So.Y. 自分も音楽祭参加させてもらって、そこで平井さんが出演者の方と話されてるところを見て、たくさんの関係者とうまく調整を取っているのだなと想像したのですが、人とのコミュニケーションをとる上で、気を付けていることやコツはありますか?

平井:あれ、僕、ほとんど謝ってるだけなんですよね(笑)。時間がめっちゃ押してたんで、一曲削ってくださいとか、そんな感じのばっかりでしたね。あと、MC陣はもうここ3年ぐらいお付き合いいただいている方々で、気心も知れてるし……。音楽祭当日は余裕なくてね、あっち行ってこっち行って、って感じでした。それだけなんです(笑)。
コツは特に……。まあ、嘘をつかないことじゃないですか。本当のことをストレートに伝えたら、だいたいの人はわかってくれると思っています。

T.M. 平井さんが商店街の活性化をしようと思ったきっかけって何ですか? たとえば子供のころの経験や、学生時代の経験、両親の影響などはありますか?

平井:5年前に実行委員長を引き受ける時までは、特に何もしてなかったの、商店街に対して。でも委員長をやることになって、それではじめていろいろな店の方とちゃんと話をするようになって……。なんやろ? 扉が開いたような感覚がありましたね。
そうして一人ずつ、ちょっとずつ仲間が増えていって……。まあ敵も増えますけどね(笑)。増えるけど、やっぱりそれでだんだん深まっていくと言うのかなあ。音楽がきっかけで、実行委員長をしないといけなくなって、やっていくうちにだんだん楽しくなったという、そんな感じですね。だんだん輪が広がっている感じ。

行木:子供の頃の経験とか、高校生とかの経験は?

平井:そうですね、僕が学生の時は。まだ商店街で祭りをやってたんですよね。通行止めにして、屋台出て。僕もイカ焼きかなんかやったような記憶があるんですけど(笑)。
お祭りがあると商店街にも人がすごく出てくるというのがわかっていたから、(今の音楽祭は)そういうののリバイバルというか、それを目指してという感じでした。

行木:平井さんが子供の頃は、宇治川商店街は今よりずっとにぎわっていた?

平井:スーパーなんかができる前、小売の店舗に人がワーッと来ていた時代だったのでね。ほっといても人が来てたという。スーパーがあちこちにできはじめたのが中学生ぐらいで、それからは小売り店ばかりの商店街が目に見えて過疎化して行くのをずっと見てたんで……。ここでV字回復したいな、という思いでやっています。

Y.H. 平井さんが商店街の活性化にかかわる中で、がっかりしたことや腹が立ったこと、悲しかったことはありますか?

平井:これ……ないんですよ(笑)。僕ね、そういうのが残らないストレスフリーな、ストレスレスな体質なんで(笑)。ネガティブになることはないですね。ご安心ください、大丈夫です(笑)。そういうのは全然思ったことないです。「なんやこいつ」って思うことはあるよ。あるけど、もう、すぐ頭から抜けてしまう。目標に向かって進んでいけばそんなことね、どうでもよくなってしまう。

K.T. では逆に、商店街の活性化にかかわる中で、一番うれしかったことは何ですか?

平井:それは仲間が増えた瞬間ですね。「なんやこいつ」と思ったやつが、意外と打ち解けてね、で、ちょっと協力してくれたりっていうのがあると、たまんないですね。
それと音楽祭もね、うるさいとか通行のじゃまとか、いろんな問題出てきますが、でもそういう問題を超えたところで評価をしてくれる方が現れてくれた時が一番嬉しいですね。ほんとそう。

K.I. 平井さんの「兵庫」というお名前はとてもお似合いですけど、ご両親はどのような意味を込めてその名前をつけられたのですか?

平井:両親というか親父だね。親父の色紙があって、兵庫の港はどうのこうのって。
でもようよう聞いたら、時代劇が好きなんですよ(笑)。で、「月影兵庫」っていう架空のヒーローがいて、あと「柳生兵庫助」っていうこれは実在の武士がいて、そこからつけたのだと(笑)。
だから僕は中学の時、無理矢理剣道やらされてて。もうほんとネタです(笑)。うちの親父は兵庫を活性化させるとか、そういう活動は全然してません。たまたまです(笑)。

その他の質問

行木:ではテーマは決めないので、なんでも自由に質問してください。何かありますか?

では僕から。商店街には6つの団体があると言ってましたが、それはどう分かれているのですか? 地域で?

平井:そう、地域で。まず北長狭通と下山手通、楠町という、まずは町ごとになるのかな。設立の経緯はよく知らないんですけど。外から見るとひとつの商店街に見えるんですけど、結構細かく分かれているんですよね(笑)。
ハーバーランドができた時に補償金が入って、それを使って共通の舗装をしようということになって、そこで6つの団体が連合したのかな。もともと別の団体だったから、話をまとめるのがいちいち面倒くさい(笑)。

K.T. 音楽祭のMCを若い女の人がやっていましたが、あの人たちは商店街の人ですか? それとも外部から呼んだ人なんですか?

平井:ラジオ局があるんですよ。銀行が一軒あってそこの隣にビルがあって、そこの5階かな? そこでやっているインターネットラジオ局のMCの2人です。3年前かな、向こうから声かけてきて、「宣伝しますよ」と言ってきてくれたんで、じゃあMCやりませんか、という感じです。

平井さんから

行木:他に質問がないようなら……では平井さん、これまでの学生たちの質問を踏まえたうえで、さらに何か語り足りないことがあれば語っていただけますか?

平井:皆さんのやわらか頭で、宇治川という朽ち果てかけている地域を活性化するアイディアを出していただきたいです(笑)。こうしたらいいんじゃないか、とか。そしたら僕もそれを採用するかもしれません。先生を通じてでもいいし、直接来てくれてもいいので。みなさんとディスカッションしてみたい。

あとは、宇治川の歴史を調べてみてほしいです。なかなか面白いと思います。平安時代後期に物部氏という豪族が来て「宇治の郷」を作ったのですが、それが宇治川という名前として残っていて……。千年近い歴史があるところなんで、みなさんにいろいろと調べてもらいたいです。

それと……明日はどんな地域になりたいかを考える時、またいかにしてそうなるかを考える時、僕が武器として持っているのは音楽祭です。みなさんも何か面白いことを考えたら、「はい」と手を挙げていただければ、僕はそれを形にできる可能性もあります。せっかく同じ時間を過ごしたのだから、何か何か形にしたいじゃないですか。そんな感じです。

行木:僕が今日思ったのは、商店街というものの難しさと面白さというか……。たとえばスーパーとかショッピングセンターだと、たくさんの売り場があっても一つの会社ですから、経営者が「こうしよう」といえばパッと全体が動けます。一方で商店街というのは、いろんな人がいろんな考えで店をやっている。だから何かしようとしても調整が大変でなかなか動けない。そこがスーパーに対する商店街の弱みや難しさなんですが、一方でいろいろな考えを持った人がいるから、平井さんのような「でかい音楽祭やろう!」という突飛な人も現れる余地がある。またその動きが、いろいろな人を集めて予想外の方向に広がっていく可能性もある。そこは商店街の強みであり面白さなのかなと。

平井:そうですね。商店街が活性化するには、自分の店の経営も大事だけど、同時に地域そのものがなんかなんかの手段で盛り上がっていかないといけない。地域の中でのコミュニケーション、店どうし、人どうしのコミュニケーションを強くしていかないといけない。その点で音楽祭というのは貢献してるのかなと。あるいは音楽祭はそこを目指しているといえばいいのかな。
コミュニケーションなんですね、商店街の活性化というのは。すごいアナログなんだけど、でもうまいことしたら面白くなるんじゃないかなと思ってます。だけど……難しい(笑)。

行木:はい(笑)。ではそろそろ時間です。
平井さん、今日はありがとうございました。

平井:こちらこそ、今日はありがとうございました。あと言い遅れましたが、みなさん、音楽祭当日、ボランティアをしてくれてありがとうございました。
今日の話が、何かみなさんの役に立てばいいんですが……。
では失礼します。

全員:ありがとうございました。


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