
照りつける。しかも、ブヨが多く、ゆっくり休むこともできない。下からもってきた水6lも半分以上、昼食で使用して飲用のものがなく隊員ら多少の文句も出たが、日高ではこのくらい節水してなくてはとても縦走はできまい。昼食には堅いフランスパンのみであり、水がないので全員アゴがいたくなるまでかじらなければのみこめないのである。
日高山系は本土の南北アルピスや谷川連峰などのように壮観さはなく、全体にハイマツとダケカンバにおおわれて、山々はダークグリーンで雄々しい岩肌などはどこにも見られない。さらに沢すじに細く小さくこびりつている雪候でさえも、チョコレートパフェのごとくであり、涼を呼ぶほどのこともない。北斜面では700m程から雪が見られる。神威岳西側上部に東京の近くにあれはすはらしいゲレンデとなるような岩場はあるが、日高がゲレンデとなることはあるまい。結局日高山系が登山の対象となるのはその長大な縦走路と深く入り込んだ沢にあるのであろう。また、秋にはシカが現われて、その肉が絶品ということである。
11時ピークを出発して、1人1杯ずつ水の補給があり、それからは一気に沢まで下っていった。日高のくま笹とハイマツは予想以上で、全員が体にキズをつくってしまった。沢で体を洗って、14時BCに到着。
日帰りではあるが、これで日高の山については感覚的に全員カ肥握したことであり、明日はひとつ北にある中ノ岳へ登頂して縦走の準備を進めていった。夕食まで東北大アドベンチャークラブの連中と会合をもち、彼らの幌尻岳から楽古岳までの縦走の成功を祈った。
7月25日(晴)
5時30分起床。今日と明日は中ノ缶への登庁であり、中ノ岳の上部のカールにあるクマ笹地帯はきっと泣かされることであろう。
8時BCを出発して、二俣の右沢を6人がキスリング3つ、アタック3つで遡行をはじめる。沢を左にまいて、10時30分雪溪のある所まで来た。沢は左右にわかれているが中ノ岳は左沢上部に見えはじめた。右沢遡行が可能と判断して左沢を遡行したが、滝は少なく、またそれほどの高さもなく楽しい沢登りがつづく。
12時昼食のジフィーズをとり、右側の尾根の上に1本ある木の上から、周囲を観察し、又、沢をさらに斥候を出して調べてみると、かなりの落石があって危険とのことで、14時尾根にとりつく。尾根へのとりつきは50m程の岩場であるがザイルで確保するほどのこともなく、ホールドを捜してフリークライムをつづける。
14時30分尾根上部に到着。ここで最後の水を13lつめる。尾根はクマ笹とシラカバが密集しており、ヤプコギというよりは笹コギである。笹コギが1時間程つづいてようやく、中ノ岳ピークが見えはじめた。そこは中ノ岳からつづくカールのクマ笹地帯で遠くからはアルプ状に見え楽に越えられると思われたが、さすがは日高であり、背高より高いクマ笹には全員悩まされた。
その時トップをきっていたS君がクマ君の声を2度聞いたとのことであり、又、まだ新しクマ君のふんをみつけた。しかしクマに対する対策は準備してきた。笛などの金属音でなんとか、自分たちなりになぐさめるだけである。笹コギは予想以上に時間がかかり、更に悪いことに自分がどこをめざしているか確認できない。時々、木や岩に登ってルートを見つけては前進するのである。
17時30分やっとのことで、クマ笹地帯から脱出できた。ふり向くと自分達がどのように登ってきたかまったくわからない。広々としたクマ笹の平原がきれいに整ってみえる。ここで今日のビバーク地点を確認した。中ノ岳ピークより100m程下ったコルにつきあげて、そこをビバーク地点とすることになった。今度はハイマツコギが開始された。手でクマ笹をかきわけて行くよりハイマツの上に乗っての行進は意外と楽である。
18時20分中ノ岳がよく見える陵線にたどりつく。太陽は西尾根にしずもうとしていた。アルファー米とカンヅメ、それに紅茶を1杯ずつ飲んで7時強い風に悩まされ、それまでの沢登で、水を飲むくせをつけてしまって、のどが渇いてよく眠れないようである。夏の日高山行にはやはり水は大きな影響力がある。
7月26日(曇のち晴)
5時起床。4時40分ACを出発して中ノ岳へ向う。
6時中ノ岳ピークに全員が立ったが背高以上のハイマツの為、1人ずつハイマツから突然姿を現わし、多少ナタ目のはいっているピークに立つありさまである。頂上で1本ずつタバコを喫ってみたが、のどが渇くのでみんなあまり喫いたがらない。やはりピークでのタバコはとてもうまい。ACに置いてきたたった1缶のミカンの缶詰を食べるために6時30分下山を開始した。
7時30分ミカンを6つぶずつ食べ終えて、更に下山を進めたが、クマ笹の中を下るのは足元が見えず、そしてよくすべるので全員きずだらけになってしまう。天気も晴れてきて、下山ルートも確認でき、下山ルートを尾根に求めてカールをトラバースして遡行してきた沢の右尾根を下山していく。登りに悩まされたクマ笹は体のキズを考えなければとても快調である。特にT君のクマ笹すべりは中々うまく、クマ君が出てきても逃げられるのは彼ひとりであろう。他の者がすべったら止まらなくなるクマ笹の中を回転しながら下っていく。
尾根に入るところで最後の水を飲み、これからはいよいよブッシュである。11時尾根を一気に下り沢まで出た。登りよりもだいぶ下まで尾根を下ったので、これからは大きな滝もなく楽にBCまで帰れるだろう。冷たい水を腹一杯飲んで、非常食までたいらげてしまった。12時沢を下りだした。
14時BCに到着。体を洗って、キズに薬をぬりつけ全員さっぱりして、夕食を食べる。明日からはソエマツ沢に入る隊と縦走隊に分けて本格的な活動が開始されるのである。
しかし、ここで大きなアクシデントがあったことをラジオで知った。カムイエクウチカウシ岳で福岡大WVのパーティの3人が熊にやられたということである。我々の行動する地域はだいぶ離れてはいるが、日高山系の登山は中止するようにラジオで呼びかけており、熊に対する準備は大いに考慮してきたつもりであったが、実際にアクシデントが起ってしまうと計画をこれ以上実行するのはむずかしいようである。
食糧の調達をかねて2名を地元浦河にある遭難対策協会に連絡に向けた。遭対協では「中止させる権限はないが、ソエマツ沢には熊が多く、せひともやめるように」といわれた。BCはすでにソエマツ沢出合まで移動しており、本格的活動の準備は出来ていたが、全体でミーティングを開き、リーダーの決定を待った。遭対協から中止を言われているのに、強引に実行してももしアクシデントがおこった場合には我々の行動は100%無謀な冒険とみられるとの結論にたっし一様2,3日様子をみることにした。
7月28日(晴)
7時起床。ラジオで3人の遭難が確実になったことにより、残念ではあるが、今回の日高山行はこれ以上は中止と決定した。つつしんで彼らの冥福を祈る。
7月29日(晴)
今日からは同行した川下り班のサポートをつとめることになる。部員の少ない我部では当然のことなのである。地元浦河で各方面に挨拶して、夕方より残念会を開く。
熊に対する準備は十分のつもりであったが今年は例年にない暑さであり、又最近の登山プームで登山者の残した食物をあさりに熊が人間に近づいてくることなどから、遭難はおこったようだ。計